ひそやかに最期の時
11月22日

窓から見える樹々の葉は全部散ってしまいました

17日の窓辺の木。
手前のジューンベリーはまだ葉が多いですが
ハナミズキは天辺あたりには葉を残すのみ。
窓からはもうほとんど葉が見えなくなりました。
この紅葉をオーヘンリーの「最期の一葉」になぞらえて私は眺めていました。
ハナミズキが紅葉をすっかり落とす頃母は旅立ちました。
今日が母の命日になりました。
昨日処方していただいた新しい薬を夜飲ませたら
本当に静かに眠りました。
いつも通りベッドの横に寝ていた私も何もすることがなくて
夜中の3過ぎには
自分の部屋のベッドで寝ました。
5時過ぎに母を見に行くと夫が母のベッドの横で寝ていました。
何もすることがないねと夫も。
9時過ぎ驚いたことに寝たままでしたがおしっこがたっぷり出ていました。
11時に看護士さんが見えて清拭をしてくださって
そろそろ看取りの準備の話が出ました。
話が長引いて12時15分までいてくださいました。
そういえば母が着たいと言っていた大島の着物を確認しなくては
そろそろ遺影の写真を用意しなくては、、、
昼過ぎ学生自体のバスケ部の仲間から電話。
長くお母さんの介護をされていたので相談していたのです。
まさに壮絶と言うような介護の日々を以前から聞いていたので
私など比較にはならないけれど、
とっても参考になって励みになりました。
そしてその時同期の消息も話題になって
昨年彼から来たメールの転送などもしてふと気がかりにもなっていました。
その後母のベッドに行って
空気清浄機の加湿器の水を補給しました。
水分の補給がほぼできていないので脱水症状が心配で
ダイヤルを強にしているので水がすぐなくなります。
そして呑気に母のベッドのそばに置いている椅子のクッションカバーの汚れが気になって
新しいカバーを縫っていると
買い物から帰ってきた夫が
「お母さん息してないぞ」といいました。
飛んでいくと確かに最近は肩を動かしていかにも
息してるわよと知らせてくれていたのが止まっています。
今から思えば加湿器の水を入れ替えたときに
呼吸を確認していませんでした。
まだ体は暖かくて、、でももう自分からは動きません。
介護センターに電話をしすぐ往診に来ていただきました。
母の死が確認されました。
3人の子供と妹と叔父宅に連絡しました。
最期の時はあっけなく来てしまいました。
静かに寝たまんま。
看護士さんが改めて清拭をし服を着替えさせてくださいました。
着物間に合わなかったのでお気に入りのカットソーにしました。
着物は後からかけることにします。
慌ててすぐに駆け付けた娘が母の眉を引きました。
私は口紅を。
母が気にしていた入れ歯は看護士さんが入れてくださいました。
死に化粧も整いましたが
あまりに痩せてしまって別人のように見えて
却って実感がわかないのがかなしく寂しいです。
次男夫婦も夕方には駆け付けてくれました。
娘一人が泣きじゃくってはいましたが
それでもみんな覚悟していたことなので
冷静でした。
さよならの言葉もない旅立ちでしたが
この一緒に過ごした3か月が
家族にとって
さよならとありがとうの濃厚な時間でした。

窓から見える樹々の葉は全部散ってしまいました

17日の窓辺の木。
手前のジューンベリーはまだ葉が多いですが
ハナミズキは天辺あたりには葉を残すのみ。
窓からはもうほとんど葉が見えなくなりました。
この紅葉をオーヘンリーの「最期の一葉」になぞらえて私は眺めていました。
ハナミズキが紅葉をすっかり落とす頃母は旅立ちました。
今日が母の命日になりました。
昨日処方していただいた新しい薬を夜飲ませたら
本当に静かに眠りました。
いつも通りベッドの横に寝ていた私も何もすることがなくて
夜中の3過ぎには
自分の部屋のベッドで寝ました。
5時過ぎに母を見に行くと夫が母のベッドの横で寝ていました。
何もすることがないねと夫も。
9時過ぎ驚いたことに寝たままでしたがおしっこがたっぷり出ていました。
11時に看護士さんが見えて清拭をしてくださって
そろそろ看取りの準備の話が出ました。
話が長引いて12時15分までいてくださいました。
そういえば母が着たいと言っていた大島の着物を確認しなくては
そろそろ遺影の写真を用意しなくては、、、
昼過ぎ学生自体のバスケ部の仲間から電話。
長くお母さんの介護をされていたので相談していたのです。
まさに壮絶と言うような介護の日々を以前から聞いていたので
私など比較にはならないけれど、
とっても参考になって励みになりました。
そしてその時同期の消息も話題になって
昨年彼から来たメールの転送などもしてふと気がかりにもなっていました。
その後母のベッドに行って
空気清浄機の加湿器の水を補給しました。
水分の補給がほぼできていないので脱水症状が心配で
ダイヤルを強にしているので水がすぐなくなります。
そして呑気に母のベッドのそばに置いている椅子のクッションカバーの汚れが気になって
新しいカバーを縫っていると
買い物から帰ってきた夫が
「お母さん息してないぞ」といいました。
飛んでいくと確かに最近は肩を動かしていかにも
息してるわよと知らせてくれていたのが止まっています。
今から思えば加湿器の水を入れ替えたときに
呼吸を確認していませんでした。
まだ体は暖かくて、、でももう自分からは動きません。
介護センターに電話をしすぐ往診に来ていただきました。
母の死が確認されました。
3人の子供と妹と叔父宅に連絡しました。
最期の時はあっけなく来てしまいました。
静かに寝たまんま。
看護士さんが改めて清拭をし服を着替えさせてくださいました。
着物間に合わなかったのでお気に入りのカットソーにしました。
着物は後からかけることにします。
慌ててすぐに駆け付けた娘が母の眉を引きました。
私は口紅を。
母が気にしていた入れ歯は看護士さんが入れてくださいました。
死に化粧も整いましたが
あまりに痩せてしまって別人のように見えて
却って実感がわかないのがかなしく寂しいです。
次男夫婦も夕方には駆け付けてくれました。
娘一人が泣きじゃくってはいましたが
それでもみんな覚悟していたことなので
冷静でした。
さよならの言葉もない旅立ちでしたが
この一緒に過ごした3か月が
家族にとって
さよならとありがとうの濃厚な時間でした。
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