三菱東京UFJ銀行は本人より30年前の印鑑を優先?!
10月13日

マンションからの風景。
生駒山・葛城山・金剛山がよく見えたのですが、、。
水田が広がるのどかな風景も今やマンションや小さな戸建てが林立して、、、。
今日は前回成立しなかった母が借りていた貸金庫の解約にもう一度。
銀行には10時前に着きました。
昨日の予約をキャンセルしたので今日は待つつもりで。
意外と空いていて10分ほどで前回担当の方が対応してくださいました。
母のもとにあったのと私のものと一応それらしい印鑑を10本ほど。
母と妹の性はシャチハタや百均で見つかるようなものではないので
確率が高いと思いますが
私のはどこでも手に入る苗字なので30数年前のものかどうか、、、??
母に聞いてもそんなに手続きが難しかったことなど全然記憶になくて。
もちろん印鑑の記憶もなくて。
父が亡くなった後、家の権利証とお墓の権利証を預けていただけですので
その後も開けるということはほとんどなくて
金庫を開ける際にカードと鍵が必要なことは憶えていましたが
暗証番号は皆目覚えてなくて入室するのに随分手間取りました。
その時も鍵やカード暗証番号については
一切ノータッチで銀行の方は相談にも乗っていただけません。
妹に電話して
母のメモからいくつかの暗唱番号を教えてくれて
何度か挑戦してようやく開きました。
もしその暗証番号がわからなかったらどうなっていたんでしょうか?
銀行の対応の厳しさに見当もつきません。
開かない場合は
すべて本人が来て本人が依頼して手続きしないとダメだそうです。
とにかく金庫はいあたのですが
次にもう入れるものが無くなったので解約したいというと
30数年前の契約時の印鑑が必要ということです。
母の代理人として妹と私も登録していましたので
我々の印鑑でもいいということです。
とはいえ母は覚えてないし
実家を整理したとき出てきたものと
手持ちのものをごっそり持ってきたわけです。
でもよく似ているけれど違うとすべて却下されました。
何とかならないかと相談しましたが結局のところダメで
家に戻ってもう一度探して出直してきてくださいとのこと。
でも東京に戻ってもう一度探してもあるわけないし、
じゃあ本人を連れてきてくださいと言われても、、、。
電話も、印鑑証明も、委任状も全部だめだそうです。
万策尽きて夫に来てもらいましたが
理不尽さに感情的になって声を荒げて怒るだけで埒があきません。
銀行の若い冷静な担当員は全然動じることもなく
印鑑が無ければ解約手続きはできないの一点張り。
1時すぎに合流する予定で大阪に車で向かっている妹に連絡すると
まだ名古屋当たり。
じゃあ妹にも来てもらうことにしてそのあと1時過ぎまで待ちました。
1時過ようやく到着。
さっそく持参の印鑑て照合し亜mしたがやはり一致しませんでした。
それで妹と夫が銀行の方と1時間ほどもめました。
その中で正論だと思うのは
こうして代理人の二人が現実に目の前にいて
証明する自動車免許も提出して本人確認しているのに
どうして30年前の印鑑ばかりにこだわるのですか?ということ。
高齢化社会で30年も印鑑を保存していて
銀行の窓口に出向いて自分で手続きするなんて可能でしょうか?
もちろん原則はそうだとしても
もっと柔軟対応してくれてもと思わずにいられません。
確かに本人が本人と証明していて印鑑を持参していても
30数年前の契約時の印鑑でないとダメと言うのはいかにも非現実的。
しかも当の契約者は95歳になって大阪を離れ東京に住んでいるというのに。
いかに銀行がお堅いとはいえ今や河野さん出なくても印鑑廃止は時代の潮流です。
いまだに人間よりも印鑑がすべてとは・・・
いよいよ2時半を過ぎてわたしは銀行での滞在時間が5時間になろうとするころ
上司の方が見えて貸金庫を立ち合いで開けて
金庫の空を確認して、
書類に手持ちの印鑑を押して
すべての書類を作って解約を成立させてくださいました。
10時からそうしてくだされば私は10時半には帰れたでしょう。
銀行を出たのは銀行の扉が閉まる時間でした。
なんだかなあという結末でしたが
とりあえず解約できて、もう一度来なくてよくなってほっとしました。
その夜私は微熱が出て
寝違えたと思った首の痛みが激痛に変わり
食事もせずに寝ましたが、寝返りどころか首を前後左右どう動かしても痛み。
寝る姿勢をどうとってよいやらわからず
実際は眠れなかったです。
そして横になると今度は起き上がれない。
頚椎椎間板ヘルニアの初期症状でした。

マンションからの風景。
生駒山・葛城山・金剛山がよく見えたのですが、、。
水田が広がるのどかな風景も今やマンションや小さな戸建てが林立して、、、。
今日は前回成立しなかった母が借りていた貸金庫の解約にもう一度。
銀行には10時前に着きました。
昨日の予約をキャンセルしたので今日は待つつもりで。
意外と空いていて10分ほどで前回担当の方が対応してくださいました。
母のもとにあったのと私のものと一応それらしい印鑑を10本ほど。
母と妹の性はシャチハタや百均で見つかるようなものではないので
確率が高いと思いますが
私のはどこでも手に入る苗字なので30数年前のものかどうか、、、??
母に聞いてもそんなに手続きが難しかったことなど全然記憶になくて。
もちろん印鑑の記憶もなくて。
父が亡くなった後、家の権利証とお墓の権利証を預けていただけですので
その後も開けるということはほとんどなくて
金庫を開ける際にカードと鍵が必要なことは憶えていましたが
暗証番号は皆目覚えてなくて入室するのに随分手間取りました。
その時も鍵やカード暗証番号については
一切ノータッチで銀行の方は相談にも乗っていただけません。
妹に電話して
母のメモからいくつかの暗唱番号を教えてくれて
何度か挑戦してようやく開きました。
もしその暗証番号がわからなかったらどうなっていたんでしょうか?
銀行の対応の厳しさに見当もつきません。
開かない場合は
すべて本人が来て本人が依頼して手続きしないとダメだそうです。
とにかく金庫はいあたのですが
次にもう入れるものが無くなったので解約したいというと
30数年前の契約時の印鑑が必要ということです。
母の代理人として妹と私も登録していましたので
我々の印鑑でもいいということです。
とはいえ母は覚えてないし
実家を整理したとき出てきたものと
手持ちのものをごっそり持ってきたわけです。
でもよく似ているけれど違うとすべて却下されました。
何とかならないかと相談しましたが結局のところダメで
家に戻ってもう一度探して出直してきてくださいとのこと。
でも東京に戻ってもう一度探してもあるわけないし、
じゃあ本人を連れてきてくださいと言われても、、、。
電話も、印鑑証明も、委任状も全部だめだそうです。
万策尽きて夫に来てもらいましたが
理不尽さに感情的になって声を荒げて怒るだけで埒があきません。
銀行の若い冷静な担当員は全然動じることもなく
印鑑が無ければ解約手続きはできないの一点張り。
1時すぎに合流する予定で大阪に車で向かっている妹に連絡すると
まだ名古屋当たり。
じゃあ妹にも来てもらうことにしてそのあと1時過ぎまで待ちました。
1時過ようやく到着。
さっそく持参の印鑑て照合し亜mしたがやはり一致しませんでした。
それで妹と夫が銀行の方と1時間ほどもめました。
その中で正論だと思うのは
こうして代理人の二人が現実に目の前にいて
証明する自動車免許も提出して本人確認しているのに
どうして30年前の印鑑ばかりにこだわるのですか?ということ。
高齢化社会で30年も印鑑を保存していて
銀行の窓口に出向いて自分で手続きするなんて可能でしょうか?
もちろん原則はそうだとしても
もっと柔軟対応してくれてもと思わずにいられません。
確かに本人が本人と証明していて印鑑を持参していても
30数年前の契約時の印鑑でないとダメと言うのはいかにも非現実的。
しかも当の契約者は95歳になって大阪を離れ東京に住んでいるというのに。
いかに銀行がお堅いとはいえ今や河野さん出なくても印鑑廃止は時代の潮流です。
いまだに人間よりも印鑑がすべてとは・・・
いよいよ2時半を過ぎてわたしは銀行での滞在時間が5時間になろうとするころ
上司の方が見えて貸金庫を立ち合いで開けて
金庫の空を確認して、
書類に手持ちの印鑑を押して
すべての書類を作って解約を成立させてくださいました。
10時からそうしてくだされば私は10時半には帰れたでしょう。
銀行を出たのは銀行の扉が閉まる時間でした。
なんだかなあという結末でしたが
とりあえず解約できて、もう一度来なくてよくなってほっとしました。
その夜私は微熱が出て
寝違えたと思った首の痛みが激痛に変わり
食事もせずに寝ましたが、寝返りどころか首を前後左右どう動かしても痛み。
寝る姿勢をどうとってよいやらわからず
実際は眠れなかったです。
そして横になると今度は起き上がれない。
頚椎椎間板ヘルニアの初期症状でした。
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