ファミリーヒストリー序章?
>9月25日

のどかな田園風景の中で生まれたのでした(^^♪
浄土寺は小野市にあります。
兵庫県の西側の方あということくらいしか心当たりもなく
ナビ通りに行くと高速でほぼ1時間。
随分時間的には近かったです。
そしてそこは地理的にわたしの生誕地と近いという気はしていました。
でも行ったことも見たこともなくて
記憶にあるのは
父が物指しの裏に書かれていた住所のみ。
父も母も私と違って字が上手です。
特に父は人柄通りのまじめな感じのする読みやすい字です。
小さい時からなんとなくその物指しの裏に墨で書かれた
住所を覚えていました。
どうして1m足らずの物指しにわざわざ住所まで書いていたのかよくわからないのですが
とにかくその住所で私は生まれたのでした。

でっかい家ばかりです。
東京で結婚した両親は
結婚したばかりに東京大空襲で家財もろとも焼け出されたそうですが
その後のいきさつの詳細はよく聞いていないのですが
とにかく陸軍の移動で兵庫県に赴任したみたいです。
そこで大きなお宅の隠居用に建てられたという小宅を借りていたそうです。
そして今回思いがけず通りかかることになったのが記憶にある地名でした。
道路標識にその名前が書かれていてさほど遠くでもないので
寄ってみようという気になりました。
どこにでもあるような田園風景が広がっています。
もう重く垂れさがった稲が刈り取り間際で色づいています。
それは日本酒の材料として有名な山田錦らしく
途中の畑にはあの「獺祭」の指定農地なんて看板もあって
「へ~」とか言ってなんかとてつもなく珍しいものを見たように興奮しました。
ナビがあるので村までは割と簡単に近づきましたが
字になると意外と広くてあちこちさまよいました。
でも住んでいたお詫君甘えの記憶がありません。
母に電話したところ、
「なんでそんなところにいるの?」
と当たり前の問いかけ。
私だってなんでと言われても、、、。
往きがかり、通りがかりなんですけど、、、。
まあそれは置いといて
なんていうお宅に住んでいたの?
と聞くと同じく住所は思い出すけど名前が出てこない。
それでその村近くのお寺で聞くと
親切に地図を出して特定してくださいました。
でも同じ姓が多くて
本家と言われる家だって5~6軒はあるということでした。
でもとにかくその集落に行くことにして
移動中に母から電話。
名前を思い出したそうです。
先ほど教えていただいた名前と合致しました。
95歳の母の75年前の記憶はばっちりでした。
素晴らしい!!
その集落に入ると確かにあちこちにその名前が、、。
別に知っている人も
その当時を知る人さえいるとも思えず
ただ10分ほど歩いてみただけです。

知る人一人いないのですが、、、懐かしい?
ことのほか夫が興奮して喜んでいたのが意外でした。
何度か道を尋ね、家のありかを訪ねた方との会話も楽しそうでした。
夫にすれば戦後の引き上げの途中で生まれたにしろ
両親の生地がそのあっま故郷になっている人ですから
この家に定住する40代までに
24回も引っ越した私の記憶にない生地訪問は
新鮮だったことでしょう。
実は私もやっと足が地に着いたような感慨が、、、。

のどかな田園風景の中で生まれたのでした(^^♪
浄土寺は小野市にあります。
兵庫県の西側の方あということくらいしか心当たりもなく
ナビ通りに行くと高速でほぼ1時間。
随分時間的には近かったです。
そしてそこは地理的にわたしの生誕地と近いという気はしていました。
でも行ったことも見たこともなくて
記憶にあるのは
父が物指しの裏に書かれていた住所のみ。
父も母も私と違って字が上手です。
特に父は人柄通りのまじめな感じのする読みやすい字です。
小さい時からなんとなくその物指しの裏に墨で書かれた
住所を覚えていました。
どうして1m足らずの物指しにわざわざ住所まで書いていたのかよくわからないのですが
とにかくその住所で私は生まれたのでした。

でっかい家ばかりです。
東京で結婚した両親は
結婚したばかりに東京大空襲で家財もろとも焼け出されたそうですが
その後のいきさつの詳細はよく聞いていないのですが
とにかく陸軍の移動で兵庫県に赴任したみたいです。
そこで大きなお宅の隠居用に建てられたという小宅を借りていたそうです。
そして今回思いがけず通りかかることになったのが記憶にある地名でした。
道路標識にその名前が書かれていてさほど遠くでもないので
寄ってみようという気になりました。
どこにでもあるような田園風景が広がっています。
もう重く垂れさがった稲が刈り取り間際で色づいています。
それは日本酒の材料として有名な山田錦らしく
途中の畑にはあの「獺祭」の指定農地なんて看板もあって
「へ~」とか言ってなんかとてつもなく珍しいものを見たように興奮しました。
ナビがあるので村までは割と簡単に近づきましたが
字になると意外と広くてあちこちさまよいました。
でも住んでいたお詫君甘えの記憶がありません。
母に電話したところ、
「なんでそんなところにいるの?」
と当たり前の問いかけ。
私だってなんでと言われても、、、。
往きがかり、通りがかりなんですけど、、、。
まあそれは置いといて
なんていうお宅に住んでいたの?
と聞くと同じく住所は思い出すけど名前が出てこない。
それでその村近くのお寺で聞くと
親切に地図を出して特定してくださいました。
でも同じ姓が多くて
本家と言われる家だって5~6軒はあるということでした。
でもとにかくその集落に行くことにして
移動中に母から電話。
名前を思い出したそうです。
先ほど教えていただいた名前と合致しました。
95歳の母の75年前の記憶はばっちりでした。
素晴らしい!!
その集落に入ると確かにあちこちにその名前が、、。
別に知っている人も
その当時を知る人さえいるとも思えず
ただ10分ほど歩いてみただけです。

知る人一人いないのですが、、、懐かしい?
ことのほか夫が興奮して喜んでいたのが意外でした。
何度か道を尋ね、家のありかを訪ねた方との会話も楽しそうでした。
夫にすれば戦後の引き上げの途中で生まれたにしろ
両親の生地がそのあっま故郷になっている人ですから
この家に定住する40代までに
24回も引っ越した私の記憶にない生地訪問は
新鮮だったことでしょう。
実は私もやっと足が地に着いたような感慨が、、、。
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