極楽山 浄土寺に
9月25日

極楽山浄土寺 快慶作の立派なあ御座三尊像がありますが
堂内撮影禁止。
浄土寺は、鎌倉時代初期創建の寺院です。このあたりは、その昔、奈良・東大寺の荘園があったところで「大部荘(おおべのしょう)」と呼ばれていました。源平合戦の兵火で焼失した東大寺再建の責任者・重源上人(ちょうげんしょうにん)は、この地を開発することで再建の費用を賄おうとしました。その拠点が浄土寺で「播磨別所」とも呼ばれています。
昨日思いがけずはかどったので
本日は夫の希望で国宝建造物の見学に。
この家を拠点に出かけることはもうないことを思うと少し寂しいです。
と言いながら午前中は
大谷君の応援のためテレビの前を動かず。
昼食後すぐに出発して1時間ほどで到着。
高速の入り口が近いことや渋滞がなかったこともあって
意外と近いのにびっくり。
土地勘がないので
田園風景の中の
こんなところにというような場所に境内がありました。

浄土寺は東大寺南大門とと並んで大仏様建築を代表する建物で国宝です。

浄土堂は東大寺南大門とともに現存する大仏様建築の貴重な建物。柱間の距離が長いにもかかわらず、強固なつくりが特徴で、それがダイナミックさを演出しているのです。トラベルJP

小野市の浄土寺の阿弥陀三尊像
天井がなく屋根裏が高い朱色と白の開放的なドーム型の空間。外から見るより広く、そのギャップにも感動します。その真ん中に立つ3体の巨大な仏像は圧倒的な存在感を放ち、どれもが完璧なプロポーションです。
兵庫県で唯一の国宝の仏像。です。浄土堂内に夕日の頃、西側の戸から夕日が射し込み、ヒノキの床に反射して赤い垂木の屋根裏を照らすと、本尊は黄金色に輝き、雲に乗って浮かんだ浄土からのご来迎の姿に見えるのです。
鎌倉時代を代表する大仏師・快慶の初期の作品で、丈六の大きさの立像としても珍しいものです。それまでの日本の阿弥陀如来とは逆の、左手を上げ右手を下げる、逆手来迎印(さかてらいごういん)や長く伸ばした爪などは、中国の絵を手本にしており、当時としては最新のスタイルだったそうです。
また、一般的に阿弥陀如来の脇侍は、本来は右が観音菩薩で左が勢至菩薩の場合が多いのですが、この三尊像は通例とは逆で、宝冠や持ち物、ポーズも少し異なっています。播磨地域の彫刻としては唯一の国宝です。
この像は台の上に乗っているように見えますが、実は違っていて、像の根幹材を堂の構造に組み込んでいて地震にも強い構造になっています。建物と同時進行で仏像を作ったというから、それもすごいところなのです。
写真と解説はトラベルJPのサイトからお借りしました。
他に

八幡神社

八幡神社拝殿

鐘楼堂

本堂(薬師堂)
思いがけず素晴らしい建造物と仏像を拝観できました。
全然知らなかったのでほんと目の保養でした。
出来れば西日の差す頃に光り輝く三尊像を見たいものです。
ところでその帰りの道すがら
私の生誕地に近いことを知って
立ち寄りました。
70年以上たって
初めて訪れました。

極楽山浄土寺 快慶作の立派なあ御座三尊像がありますが
堂内撮影禁止。
浄土寺は、鎌倉時代初期創建の寺院です。このあたりは、その昔、奈良・東大寺の荘園があったところで「大部荘(おおべのしょう)」と呼ばれていました。源平合戦の兵火で焼失した東大寺再建の責任者・重源上人(ちょうげんしょうにん)は、この地を開発することで再建の費用を賄おうとしました。その拠点が浄土寺で「播磨別所」とも呼ばれています。
昨日思いがけずはかどったので
本日は夫の希望で国宝建造物の見学に。
この家を拠点に出かけることはもうないことを思うと少し寂しいです。
と言いながら午前中は
大谷君の応援のためテレビの前を動かず。
昼食後すぐに出発して1時間ほどで到着。
高速の入り口が近いことや渋滞がなかったこともあって
意外と近いのにびっくり。
土地勘がないので
田園風景の中の
こんなところにというような場所に境内がありました。

浄土寺は東大寺南大門とと並んで大仏様建築を代表する建物で国宝です。

浄土堂は東大寺南大門とともに現存する大仏様建築の貴重な建物。柱間の距離が長いにもかかわらず、強固なつくりが特徴で、それがダイナミックさを演出しているのです。トラベルJP

小野市の浄土寺の阿弥陀三尊像
天井がなく屋根裏が高い朱色と白の開放的なドーム型の空間。外から見るより広く、そのギャップにも感動します。その真ん中に立つ3体の巨大な仏像は圧倒的な存在感を放ち、どれもが完璧なプロポーションです。
兵庫県で唯一の国宝の仏像。です。浄土堂内に夕日の頃、西側の戸から夕日が射し込み、ヒノキの床に反射して赤い垂木の屋根裏を照らすと、本尊は黄金色に輝き、雲に乗って浮かんだ浄土からのご来迎の姿に見えるのです。
鎌倉時代を代表する大仏師・快慶の初期の作品で、丈六の大きさの立像としても珍しいものです。それまでの日本の阿弥陀如来とは逆の、左手を上げ右手を下げる、逆手来迎印(さかてらいごういん)や長く伸ばした爪などは、中国の絵を手本にしており、当時としては最新のスタイルだったそうです。
また、一般的に阿弥陀如来の脇侍は、本来は右が観音菩薩で左が勢至菩薩の場合が多いのですが、この三尊像は通例とは逆で、宝冠や持ち物、ポーズも少し異なっています。播磨地域の彫刻としては唯一の国宝です。
この像は台の上に乗っているように見えますが、実は違っていて、像の根幹材を堂の構造に組み込んでいて地震にも強い構造になっています。建物と同時進行で仏像を作ったというから、それもすごいところなのです。
写真と解説はトラベルJPのサイトからお借りしました。
他に

八幡神社

八幡神社拝殿

鐘楼堂

本堂(薬師堂)
思いがけず素晴らしい建造物と仏像を拝観できました。
全然知らなかったのでほんと目の保養でした。
出来れば西日の差す頃に光り輝く三尊像を見たいものです。
ところでその帰りの道すがら
私の生誕地に近いことを知って
立ち寄りました。
70年以上たって
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