母到着・老々介護はじめ
11月28日
大阪に陽のあった夫が母を連れてきてくれました。
実家に滞在していた妹も横浜まで同行。
それでも混雑の中リュックを背負って手押し車でやっと歩ける母を
連れてくるのは大変だったと思います。
我々の老々介護もいよいよ本格的、渦中となった感ありです。
姑も母も伴侶に死別して30年。
寂しい一人暮らしだったでしょう。
そして今近くに住むことになっても
私たちは同居という形選ばずに施設での生活を二人に敷いています。
実際は母はまだ入居できると決まっていなくて
今後どれくらい待てばいいかわからない状況なので
それまでは同居か
もう一度大阪に戻ることもありです。
ただあんなに頑固に同居を拒んでいた母も
お正月の後、骨折やコロナを経て何度かの同居がトータル3か月に及び
同居への抵抗感は薄らいで
今や素直にお願いしますと繰り返すようになっています。
逆に夫が母と暮らすことに拒否まではいかなくても難色を示すようになりました。
既に近いとはいえ姑は施設で暮らしていますし
腰痛をのべつ訴えるようになっている夫と母は負担も大きいです。
今後を考えると看取りまでの同居の覚悟はないなと自覚します。
でも95歳に近い今
見ず知らずの環境に置かれる母を思うと切ないです。
思ったより元気で
聴力の衰えはあるものの
普通に会話をし、事態が把握できていることがすごいです。
記憶力はお互いに怪しくなりつつ、
姑・母・我々のなるべくい心地の良い暮らし方を模索していくことになります。
大阪に陽のあった夫が母を連れてきてくれました。
実家に滞在していた妹も横浜まで同行。
それでも混雑の中リュックを背負って手押し車でやっと歩ける母を
連れてくるのは大変だったと思います。
我々の老々介護もいよいよ本格的、渦中となった感ありです。
姑も母も伴侶に死別して30年。
寂しい一人暮らしだったでしょう。
そして今近くに住むことになっても
私たちは同居という形選ばずに施設での生活を二人に敷いています。
実際は母はまだ入居できると決まっていなくて
今後どれくらい待てばいいかわからない状況なので
それまでは同居か
もう一度大阪に戻ることもありです。
ただあんなに頑固に同居を拒んでいた母も
お正月の後、骨折やコロナを経て何度かの同居がトータル3か月に及び
同居への抵抗感は薄らいで
今や素直にお願いしますと繰り返すようになっています。
逆に夫が母と暮らすことに拒否まではいかなくても難色を示すようになりました。
既に近いとはいえ姑は施設で暮らしていますし
腰痛をのべつ訴えるようになっている夫と母は負担も大きいです。
今後を考えると看取りまでの同居の覚悟はないなと自覚します。
でも95歳に近い今
見ず知らずの環境に置かれる母を思うと切ないです。
思ったより元気で
聴力の衰えはあるものの
普通に会話をし、事態が把握できていることがすごいです。
記憶力はお互いに怪しくなりつつ、
姑・母・我々のなるべくい心地の良い暮らし方を模索していくことになります。
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