「椰子の実」の歌詞と「われは海の子」の歌詞
7月14日

オレガノケントビューティ:大好きなお花。地植えしたら消えそうになっていたのでもう一度鉢植えに。
ようやく回復の兆し。
何気にテレビを見ていて
先日安田姉妹(幸子と章子)が「椰子の実」を歌っていた。
私はその島崎藤村の詩が好きで
全部覚えているけれど
画面にその詩が表示されて
「えっ」と思った。
そうなのか
私はずっと[思いやる八重の潮路を]と
想って歌っていたけど
テレビでは汐汐だった。
そんな言葉は最初にこの歌を覚えたころには知らなかったので
無理もないし、今だって常用に使われる言葉ではない。
本当にそうなのかなあと妙に気になって
調べてみたらやっぱり汐汐だった。
そうか繰り返す波のことで流れてきたルートではなかったんだ。
今更に椰子の実の歌のイメージを更新。
裏覚えで覚えた歌詞が後になって判明することが私にはよくある。
小さいころ「お富さん」という曲がはやったけれど
最初の出だしの
「粋な黒塀、見越しの松に、あでな姿のお富さん」を
大人になるまで
粋な黒部衛・神輿の松と勝手に意味不明で字を当てていた。
文部省唱歌(これもなんだか今から考えるとちょっとこわいねえ)
「われは海の子」の歌詞も難解だった。
我は海の子白浪(しらなみ)の
さわぐいそべの松原に、
煙(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。
とまやが苫屋だとわかりその意味が分かったのは
高校生の頃だった気がする。
生れてしおに浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)を
吸(す)いてわらべとなりにけり。
浴(ゆあみ)も中学くらいかな
海の気はずっと海の香と思っていた。(今調べるまで!)
吸いても好いてと思っていたよ。
高く鼻つくいその香(か)に
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。
ええっふだんって不断なんだ。
いみじきがくって楽なんだ。
今の今まで知らなかった。
「普段の花」と勘違いして今まで気がつかなかった方がいてもおかしくないだろう。ちなみに「不断の花」といえば、ほぼ一年中花をつける不断桜が有名で、全国各地の寺の境内などで楽しむことができる。
気になって調べたら「われは海の子」については同じように知らない人の多いこと
それが気になっている人の多いことが分かってほっこりした。
まあこの年になって喉のつっかえの一つが取れたようなすがすがしさ(オーバーだけど)
さらにこの歌詞は
3番以降
丈余(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、
百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底
遊びなれたる庭広し。
幾年(いくとせ)ここにきたえたる
鉄より堅(かた)きかいなあり。
吹く塩風(しおかぜ)に黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。
浪にただよう氷山(ひょうざん)も
来(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
海まき上(あ)ぐるたつまきも
起(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。
いで大船(おおふね)に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
我は護(まも)らん海の国
ついでに
『われは海の子(我は海の子)』は、1910年(明治43年)に『尋常小学読本唱歌』で発表された日本の童謡・唱歌。
文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩が採用されたとされている。
鹿児島市の祇園之洲公園にはこの歌の歌碑が建てられている。
ということも分かった。
昨日も白雪姫は王子様のキスじゃなく、グリム童話では王子の部下の兵士が背中を殴って喉につかえていたリンゴの芯がとびだして息を吹き返したとテレビのクイズでやっていた。
身もふたもないようなロマンスのない話。
既往に続き長文になってしまうけれど
私が幼稚園の頃好きで歌っていた
題名も作者も不明の歌。
あのね
あのね
おばあちゃま
ママのお使いおりこうでしょ
抱っこでアンガをさせてよね
何回歌ってもアンガの意味が分からなかっったけれど
大人になってある日突然、縁側から抱き上げてよねという意味だろうと納得し
今でも時々思い出しては口ずさむ。
小さい頃はよく歌って踊る子供だったらしい。
幼いころに住んでいた場所を大人になってから訪ねたとき
そのご近所の方が口をそろえておっしゃていた。
それにしても今どきの歌詞は1度や2度どころか何度聞いても聞き取れないけれど
昔の歌は子供心にも格調の高い美しい日本語で歌いやすい歌だった。

オレガノケントビューティ:大好きなお花。地植えしたら消えそうになっていたのでもう一度鉢植えに。
ようやく回復の兆し。
何気にテレビを見ていて
先日安田姉妹(幸子と章子)が「椰子の実」を歌っていた。
私はその島崎藤村の詩が好きで
全部覚えているけれど
画面にその詩が表示されて
「えっ」と思った。
そうなのか
私はずっと[思いやる八重の潮路を]と
想って歌っていたけど
テレビでは汐汐だった。
そんな言葉は最初にこの歌を覚えたころには知らなかったので
無理もないし、今だって常用に使われる言葉ではない。
本当にそうなのかなあと妙に気になって
調べてみたらやっぱり汐汐だった。
そうか繰り返す波のことで流れてきたルートではなかったんだ。
今更に椰子の実の歌のイメージを更新。
裏覚えで覚えた歌詞が後になって判明することが私にはよくある。
小さいころ「お富さん」という曲がはやったけれど
最初の出だしの
「粋な黒塀、見越しの松に、あでな姿のお富さん」を
大人になるまで
粋な黒部衛・神輿の松と勝手に意味不明で字を当てていた。
文部省唱歌(これもなんだか今から考えるとちょっとこわいねえ)
「われは海の子」の歌詞も難解だった。
我は海の子白浪(しらなみ)の
さわぐいそべの松原に、
煙(けむり)たなびくとまやこそ
我がなつかしき住家(すみか)なれ。
とまやが苫屋だとわかりその意味が分かったのは
高校生の頃だった気がする。
生れてしおに浴(ゆあみ)して
浪(なみ)を子守の歌と聞き、
千里(せんり)寄せくる海の気(き)を
吸(す)いてわらべとなりにけり。
浴(ゆあみ)も中学くらいかな
海の気はずっと海の香と思っていた。(今調べるまで!)
吸いても好いてと思っていたよ。
高く鼻つくいその香(か)に
不断(ふだん)の花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき楽(がく)と我は聞く。
ええっふだんって不断なんだ。
いみじきがくって楽なんだ。
今の今まで知らなかった。
「普段の花」と勘違いして今まで気がつかなかった方がいてもおかしくないだろう。ちなみに「不断の花」といえば、ほぼ一年中花をつける不断桜が有名で、全国各地の寺の境内などで楽しむことができる。
気になって調べたら「われは海の子」については同じように知らない人の多いこと
それが気になっている人の多いことが分かってほっこりした。
まあこの年になって喉のつっかえの一つが取れたようなすがすがしさ(オーバーだけど)
さらにこの歌詞は
3番以降
丈余(じょうよ)のろかい操(あやつ)りて
行手(ゆくて)定めぬ浪まくら、
百尋(ももひろ)千尋(ちひろ)の海の底
遊びなれたる庭広し。
幾年(いくとせ)ここにきたえたる
鉄より堅(かた)きかいなあり。
吹く塩風(しおかぜ)に黒みたる
はだは赤銅(しゃくどう)さながらに。
浪にただよう氷山(ひょうざん)も
来(きた)らば来(きた)れ恐れんや。
海まき上(あ)ぐるたつまきも
起(おこ)らば起れ驚(おどろ)かじ。
いで大船(おおふね)に乗出して
我は拾わん海の富
いで軍艦(ぐんかん)に乗組みて
我は護(まも)らん海の国
ついでに
『われは海の子(我は海の子)』は、1910年(明治43年)に『尋常小学読本唱歌』で発表された日本の童謡・唱歌。
文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(1882-1945)の詩が採用されたとされている。
鹿児島市の祇園之洲公園にはこの歌の歌碑が建てられている。
ということも分かった。
昨日も白雪姫は王子様のキスじゃなく、グリム童話では王子の部下の兵士が背中を殴って喉につかえていたリンゴの芯がとびだして息を吹き返したとテレビのクイズでやっていた。
身もふたもないようなロマンスのない話。
既往に続き長文になってしまうけれど
私が幼稚園の頃好きで歌っていた
題名も作者も不明の歌。
あのね
あのね
おばあちゃま
ママのお使いおりこうでしょ
抱っこでアンガをさせてよね
何回歌ってもアンガの意味が分からなかっったけれど
大人になってある日突然、縁側から抱き上げてよねという意味だろうと納得し
今でも時々思い出しては口ずさむ。
小さい頃はよく歌って踊る子供だったらしい。
幼いころに住んでいた場所を大人になってから訪ねたとき
そのご近所の方が口をそろえておっしゃていた。
それにしても今どきの歌詞は1度や2度どころか何度聞いても聞き取れないけれど
昔の歌は子供心にも格調の高い美しい日本語で歌いやすい歌だった。
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