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愚痴

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昨日夕方茨木の母のもとに。
今年88歳のお祝いをした3月と、大学の友人たちと集まった6月に立ち寄って以来。
姑の介護に通うようになってからは一度も立ち寄れていない。
結婚後夫の実家の和歌山に帰るときにも幼い子供3人を連れて
はるばる横浜から海南まで電車を何回も乗り継いで直接行った。
途中で大阪の実家に立ち寄ることができないことにずっと不満を持っていた。
舅や姑は孫可愛さの一心で夫はその鈍感さで
私の思いに気づき気づかいしてくれるなんてことはなくて、、、。
姑を東京に呼び寄せることになって
ようやく実家の母に会うためだけに帰阪できるようになるんだと
ちょっと晴れ晴れした気分になった。

母は88歳とすれば十分元気。
相変わらずお風呂を沸かし、てんこ盛りの惣菜と炊き立てのご飯で歓迎してくれた。
二男夫婦が来たときにはステーキとウナギが一緒に食卓に出たそうだから
ほんと好意も度を過ぎているのだけれど、、、。
一人でこうして元気に自立した生活をしてくれていることをつくづくありがたく感謝。
要支援1で週1回1時間お掃除をお願いし、
週1回リハビリ体操に通っている。
以前は短歌教室に通っていたけれど
先生もお仲間も高齢化して自然消滅。
それでも今年も与謝野晶子の短歌賞に入選したそうだから偉い!
二人同時介護ってことになったら私まで介護される人になりそうだもの。
もう少し自立した一人暮らしを楽しんで欲しい。

新大阪11時の黒潮で海南に。
昨夜直接来ていた夫と食事を済ませてから病院に。
今日は一時外出をお願いして姑は自宅マンションに一時帰宅。
最後になるかもしれない住み慣れた空間に
姑はもっと執着するかしら、しんみりするかしらと思いきや
意外にさばさば。
東京に着ていくものと送るものを相談。
持っていくという品に孫たちのへその緒や
それぞれの家紋入りの袱紗。
京都の西陣に特別に注文した品で
結局孫たちの誰もそんな格式ある結婚式や晴れの日はなかったので
出番もなく、、、(^_^.)
孫たち誕生の記念の品は姑にずっと握られていたんだなあと
私は思うわけで
夫はそんなもんええやんかの一言。
それ以外には娘にあげたかった(娘はいらないとのことで)ヒスイの指輪。
源右衛門の茶器など、、、。
姑が大事にしていた品々は嫁の私に託すのではなく
血のつながった娘に直接あげたかった姑。
残念ながら娘は結婚もせず、モノに対する特にブランドに対する執着心が皆無で
あいにくなにも欲しがらない。
今となってはすべてゴミに化するその処理は私に回ってくるわけで。
ここへきて私は何とか通り過ぎてきた過去と
直面する現実と
これからの憂鬱な近場での介護の未来とに
とらわれて何をしても面白くない。
それでいてやることは山積。
しかもそれでいても母の血筋で
望んでいるであろう以上のことまでやってしまうおせっかい。
まさにこの憂鬱は自分との対峙だと思うにつけ
さらにその深みにはまっていくようで、、、。


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