蓼科山~霧ヶ峰~美ヶ原 (Ⅱ)
「山には、登る山と遊ぶ山とがある。
前者は、息を切らして汗を流し、ようやくその頂上に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、
後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。
もちろん山だから登りはあるが、ただ1つの目標に固執しない。
気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする。
当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。
霧が峰はその代表的なものの1つである。」
深田久弥氏の「日本百名山」がいっぺんで好きになりました。
その深田氏や、串田孫一氏(随筆家、哲学者)らが、
「たおやかな空中庭園」賞賛されているのが霧ヶ峰です。
登るにたやすかったら百名山と言えないってことは無いと私も思います。
だからってわけでもないですがゴンドラを使って
山頂手前5分のところまで行きました。
猛暑の日差しで避けるところのないゴンドラで汗もかきました(?)(^_^;)
40年前にも、小さかった子供たちとも登ったことがあるけれど
蓼科まで来たので今一度と尋ねてみたくなったのですが、
先ほど登った蓼科が見えここからも八ヶ岳など素晴らしい眺望で
86歳の母も連れてきてあげたい思える山もなかなかいいものでした。

なだらかな丘陵の向こうに八ヶ岳

朝登った蓼科山(2530m)

霧ヶ峰山頂(1925m)

こちらからは北アルプスの展望

ここからは浅間連峰
360度のパノラマビューを満喫。

ゴンドラは往復1500円。お天気さえよければ十分に価値あり。
もちろん歩いても1時間半くらいです。
車山肩からなら40分くらいだそうです。
お花畑も楽しめました。

アキノキリンソウ・ミネウスユキソウ・ヤマハハコ・ウメバチソウ

名前がわかりません。山頂で。
そしてビーナスラインにのっかて美ヶ原までも足を伸ばしました。
いやもうその変わりようは唖然・茫然。
2000mの山とは思えない風景とかすかな記憶にある風景とが不協和音。
山本小屋もすっかり変わっていました。
霧ヶ峰でその変貌も仕方がないかと思いましたがやっぱり哀しい。
でも美しの塔だけはそのまま(実際は途中で建て替えられていましたが、、、)
いくら最高地点とはいえテレビ塔が林立する王ケ頭(2034m)にはいく気がせず
牛伏山[1980m]を散策しました。
一面のお花畑でマツムシソウがひときわ美しかったです。

牛伏山(1980m)ほとんどフラットですが、、、(^_^;)

向うに見えるテレビ塔のたつ山が王ケ頭(2034m)

見渡せばやはり美ヶ原の名前に値するのびやかな広い高原・牧場です。

美しの塔。私は昭和40年代はじめに和田峠から1日2便の国鉄バスで友人と訪れました。
その後昭和58年に建て替えられたそうです。

マツムシソウ・ハクサンフウロ・リンドウなど高原は厳しい夏の名残の日差しですが
花たちは初秋の涼しげな風情でした。
このルートは大阪に住む学生の私にとって信州・霧ケ峰・美ヶ原とその名前の美しさと相まって憧れのコースでした。
そのころの美ヶ原のシンボルは山本小屋と美しの塔のみ。
友人と二人で八ヶ岳の白駒池・麦草峠~白樺湖~美ヶ原と
旅行と登山とないまぜのコースでたどりました。
打ち明ければ和田峠に昼過ぎ到着するとすでに山本小屋に行くバスがなく、
役場に駆け込み宿を紹介してもらったところ、その職員の方が自宅に泊めてくださいました。
恥ずかしくも貴重で懐かしい記憶がこの美ヶ原に結びつく私にとっては
特別の美ヶ原だったのですが、、、。
そしてそのころから激しくなった開発と環境保護の声の相克を繰り返しながら
ビーナスラインが昭和56年諏訪から蓼科~白樺湖~霧ヶ峰~八島湿原~美ヶ原が開通したそうです。
美しの塔に刻まれている尾崎喜八の詩
登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばし世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
(尾崎喜八 美ヶ原熔岩台地)
前者は、息を切らして汗を流し、ようやくその頂上に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、
後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。
もちろん山だから登りはあるが、ただ1つの目標に固執しない。
気持ちのいい場所があれば寝ころんで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする。
当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。
霧が峰はその代表的なものの1つである。」
深田久弥氏の「日本百名山」がいっぺんで好きになりました。
その深田氏や、串田孫一氏(随筆家、哲学者)らが、
「たおやかな空中庭園」賞賛されているのが霧ヶ峰です。
登るにたやすかったら百名山と言えないってことは無いと私も思います。
だからってわけでもないですがゴンドラを使って
山頂手前5分のところまで行きました。
猛暑の日差しで避けるところのないゴンドラで汗もかきました(?)(^_^;)
40年前にも、小さかった子供たちとも登ったことがあるけれど
蓼科まで来たので今一度と尋ねてみたくなったのですが、
先ほど登った蓼科が見えここからも八ヶ岳など素晴らしい眺望で
86歳の母も連れてきてあげたい思える山もなかなかいいものでした。

なだらかな丘陵の向こうに八ヶ岳

朝登った蓼科山(2530m)

霧ヶ峰山頂(1925m)

こちらからは北アルプスの展望

ここからは浅間連峰
360度のパノラマビューを満喫。

ゴンドラは往復1500円。お天気さえよければ十分に価値あり。
もちろん歩いても1時間半くらいです。
車山肩からなら40分くらいだそうです。
お花畑も楽しめました。


アキノキリンソウ・ミネウスユキソウ・ヤマハハコ・ウメバチソウ

名前がわかりません。山頂で。
そしてビーナスラインにのっかて美ヶ原までも足を伸ばしました。
いやもうその変わりようは唖然・茫然。
2000mの山とは思えない風景とかすかな記憶にある風景とが不協和音。
山本小屋もすっかり変わっていました。
霧ヶ峰でその変貌も仕方がないかと思いましたがやっぱり哀しい。
でも美しの塔だけはそのまま(実際は途中で建て替えられていましたが、、、)
いくら最高地点とはいえテレビ塔が林立する王ケ頭(2034m)にはいく気がせず
牛伏山[1980m]を散策しました。
一面のお花畑でマツムシソウがひときわ美しかったです。

牛伏山(1980m)ほとんどフラットですが、、、(^_^;)

向うに見えるテレビ塔のたつ山が王ケ頭(2034m)

見渡せばやはり美ヶ原の名前に値するのびやかな広い高原・牧場です。

美しの塔。私は昭和40年代はじめに和田峠から1日2便の国鉄バスで友人と訪れました。
その後昭和58年に建て替えられたそうです。



マツムシソウ・ハクサンフウロ・リンドウなど高原は厳しい夏の名残の日差しですが
花たちは初秋の涼しげな風情でした。
このルートは大阪に住む学生の私にとって信州・霧ケ峰・美ヶ原とその名前の美しさと相まって憧れのコースでした。
そのころの美ヶ原のシンボルは山本小屋と美しの塔のみ。
友人と二人で八ヶ岳の白駒池・麦草峠~白樺湖~美ヶ原と
旅行と登山とないまぜのコースでたどりました。
打ち明ければ和田峠に昼過ぎ到着するとすでに山本小屋に行くバスがなく、
役場に駆け込み宿を紹介してもらったところ、その職員の方が自宅に泊めてくださいました。
恥ずかしくも貴重で懐かしい記憶がこの美ヶ原に結びつく私にとっては
特別の美ヶ原だったのですが、、、。
そしてそのころから激しくなった開発と環境保護の声の相克を繰り返しながら
ビーナスラインが昭和56年諏訪から蓼科~白樺湖~霧ヶ峰~八島湿原~美ヶ原が開通したそうです。
美しの塔に刻まれている尾崎喜八の詩
登りついて不意にひらけた眼前の風景に
しばし世界の天井が抜けたかと思う。
やがて一歩を踏み込んで岩にまたがりながら、
この高さにおけるこの広がりの把握になおもくるしむ。
無制限な、おおどかな、荒っぽくて、新鮮な、
この風景の情緒はただ身にしみるように本原的で、
尋常の尺度にはまるで桁が外れている。
(尾崎喜八 美ヶ原熔岩台地)
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