波照間島に(車椅子で行く離島Ⅲ)
今回の旅行についてはスケジュールはすべてリーダーさん任せ。
せっかく作ってくださった旅のしおりも一度も目を通さずに
来てしまったのですが
(帰った今ブログを書くために熟読しております(^_^;))
そのなかにも触れられてなかった波照間島ゆきが急遽現実に。
Nさんは石垣が初めてなので西表島のツアーにということで別行動。
集合は7時です。
朝食は豆腐の比嘉に。
早朝営業の創業50年の老舗豆腐屋さんです。
ウージー(サトウキビ)と芭蕉と島バナナが続く畑の中にポツンとあります。
メニューは出来立てのゆし豆腐のご飯定食とゆし豆腐そば。
希望すれば豆乳もいただけます。

芭蕉と比嘉豆腐

ゆし豆腐そば
石垣港からNさんは西表島に我々は波照間島に。
波照間島は日本最南端の島、石垣港からは約1時間です。
太平洋の外洋に乗り出すので結構揺れるそうで
船に弱い私は唯一それが心配。
ところが1時間の予定時間が50分になるほど穏やかな海でラッキーでした。
ところが今回の旅行最大のトラブルが波照間港に。
実はレンタカーが予約できていなかったのです。
乗船前にも確認しましたがやはりないとのこと。
何とかなるかもしれないの甘い予感は見事に打ち砕かれ
船が着くや港に停車していた車は瞬く間に
着いたお客のだれかれとコンタクトを取りながら
あっという間に無人&無車の閑散とした港になってしまいました。
港そばの売店のレンタカー屋さん
港そばのレンタサイクル屋さんにそれぞれあたってもやっぱりダメ。
はあどうあきらめればいいのか
せっかく日本最南端の島まで来たというのに、、、。
最後の望みで定期観光バスに安永観光(観光船の会社)のスタッフが電話をかけてくださいました。
何とすでに出発していたのに、最初の観光スポットでお客様を置いて
我々を迎えに戻っていて下さいました。
信じられないご厚意。
甘えちゃいけないけどやむを得ないので便乗させていただき
しかもドア近くの席と車椅子を置く席を確保のためにすでにそこに座っていらした方に
席を譲っていただきました。

急に乗ったのでバスがどこを走っているかわからない状態でしたが
赤八の碑がありました。
昨日のあののんびり水牛の名前の主です。
運転手さんの説明で赤八の話を聞きました。
アカハチ(オヤケアカハチ)とは、15世紀頃の波照間に生まれ、
後に石垣へ移り、
八重山に支配の手を広げようとする首里の琉球王朝に抵抗して反乱を起こした八重山の伝説の英雄でした。
さらに行くと海岸線に出て二基の風車が見えてきました。
これは 沖縄電力の「可倒式風車」だそうで、国内初登場。
2基で総工費は5億円。
この風車は、フランスのVergnet(ベルニエ)社のGEV MPというモデル。
ブレード(羽根)は3枚ではなく2枚です。出力は2基で計490キロワット。
台風が来ても根元から倒せるのが特徴です。
採算が合うとは思えませんが、、。
のんびり穏やかな風景(風車)です。
そして次に波照間空港。

2007年11月に琉球エアーコミューターの定期便は廃止され、その後、紆余曲折を繰り返しながらも
整備のため運休という名目での廃止が続いているそうです。
日本最南端の島のお家事情右は複雑です。

ヌーヒ崎。そんな島事情とは関係なく限りなく美しい空と海。
車窓から見えたのは星空観測タワー。あいにく月曜日で休館でした。
そして日本最南端の碑のある高那崎に。

素朴な石碑は沖縄返還(1972年)後の1975年に本土から来た学生が建てたと言われています。
その碑に行くまでに二匹の蛇が絡み合ったハテルマの碑があり、これは日本全国から持ち寄った石で作られています。

秋田・青森の石、右は関東地方東京・埼玉・茨城・・
全国の若者の返還された沖縄とここ最南端の島波照間島への思いが込められていて
とても素敵なモニュメントです。
ほかに戦後50周年記念の日本最南端平和の碑があります。(写真がうまく写っていませんでした残念!!)

この場所は荒々しい切り立った岸壁で真っ青な波が真っ白なしぶきに変わります。
と言っても今日は信じられないほど穏やかな静かな海でした。

この島全体がサンゴ礁が隆起した島ですが
それを証明するようにごつごつした岩にはサンゴの形が残っています。
そして海の美しいと言われる沖縄でも随一と言われる西の浜ビーチに。

泳ぐならココですね。午後便が決まっているのであきらめましたが、、。

美しく澄んで泳ぐ魚もくっきり。苦手なナマコまで美しい(?)

今回の旅行でいちばんお気に入りの写真です。リーダーの楽しそうな笑顔が印象的。
食事はバスの皆さんは観光とコミでしたが
我々は予約してないのでと別の場所に運転手さんが案内してくださいました。
それがとってもいい感じ。青空食堂という名の通り戸外のテントやパラソルの下でいただきます。
量がとっても多くて頼み過ぎて慌てちゃいました。

てびち定食・焼きそば・刺身そしてデザートにブルーシールアイスクリーム。
そしてまたバスが迎えに来てくださって港に。

島内観光バスの阿利さん。この親切なバスの運転手さんを一生忘れることは無いと思います。
午後の一便で帰路に。
又もや静かな海でひと寝入りしている間に石垣港に。
西表島に行っていたNさんと合流し、
公設市場やスーパー(イオンタウンのマックスバリュー)でお土産の調達をしてからいったんホテルに。
わたしは大浴場の露天風呂と念願の岩盤浴でゆったり。
そして夜はリクエストした沖縄民謡ライブと石垣牛も沖縄料理もある店という「うさぎや」に。
はいもうノリノリで楽しみました。
沖縄民謡大好き。三線大好き。エイサー大好き。八重山料理大好きなら定番のお店です。
なんだかずいぶん飲んで食べて聞いて、、、と石垣最後の夜を楽しみました。
石垣牛の握り・刺身・鉄板焼き

サツマイモのチップス・アオサとモズクの天ぷら・海鮮サラダ
2度目のライブをまで長居をして石垣の最後の夜は更けました。
ところで波照間に限らず離島での足を確保できていなかったのは私たちの大きな過失です。
特に車椅子の利用者にとってせっかくの観光に一歩も踏み出せないことになります。
車椅子だからこそ入念に準備して、レンタカーあるいは定期観光バスを手配しておくべきでした。
波照間島は予想以上に観光客が多く、その割にはまだ観光設備が不十分で、
特にレンタカーの数は少ないようでした。
船の揺れを考えれば天気と相談したいところですが、
やはり早めの予約をしておくべきでした。
くれぐれも波照間島の民宿とレンタカーは数が少ないので早い時期の予約が肝要です。
たまたまお蔭さまで親切な運転手さんと乗客の方々のご厚意と安永観光の港スタッフの親切な機転で
波照間島を楽しむことができました。
本当に感謝しています。ありがとうございました。そして大いに反省しています。
せっかく作ってくださった旅のしおりも一度も目を通さずに
来てしまったのですが
(帰った今ブログを書くために熟読しております(^_^;))
そのなかにも触れられてなかった波照間島ゆきが急遽現実に。
Nさんは石垣が初めてなので西表島のツアーにということで別行動。
集合は7時です。
朝食は豆腐の比嘉に。
早朝営業の創業50年の老舗豆腐屋さんです。
ウージー(サトウキビ)と芭蕉と島バナナが続く畑の中にポツンとあります。
メニューは出来立てのゆし豆腐のご飯定食とゆし豆腐そば。
希望すれば豆乳もいただけます。


芭蕉と比嘉豆腐


ゆし豆腐そば
石垣港からNさんは西表島に我々は波照間島に。
波照間島は日本最南端の島、石垣港からは約1時間です。
太平洋の外洋に乗り出すので結構揺れるそうで
船に弱い私は唯一それが心配。
ところが1時間の予定時間が50分になるほど穏やかな海でラッキーでした。
ところが今回の旅行最大のトラブルが波照間港に。
実はレンタカーが予約できていなかったのです。
乗船前にも確認しましたがやはりないとのこと。
何とかなるかもしれないの甘い予感は見事に打ち砕かれ
船が着くや港に停車していた車は瞬く間に
着いたお客のだれかれとコンタクトを取りながら
あっという間に無人&無車の閑散とした港になってしまいました。
港そばの売店のレンタカー屋さん
港そばのレンタサイクル屋さんにそれぞれあたってもやっぱりダメ。
はあどうあきらめればいいのか
せっかく日本最南端の島まで来たというのに、、、。
最後の望みで定期観光バスに安永観光(観光船の会社)のスタッフが電話をかけてくださいました。
何とすでに出発していたのに、最初の観光スポットでお客様を置いて
我々を迎えに戻っていて下さいました。
信じられないご厚意。
甘えちゃいけないけどやむを得ないので便乗させていただき
しかもドア近くの席と車椅子を置く席を確保のためにすでにそこに座っていらした方に
席を譲っていただきました。

急に乗ったのでバスがどこを走っているかわからない状態でしたが
赤八の碑がありました。
昨日のあののんびり水牛の名前の主です。
運転手さんの説明で赤八の話を聞きました。
アカハチ(オヤケアカハチ)とは、15世紀頃の波照間に生まれ、
後に石垣へ移り、
八重山に支配の手を広げようとする首里の琉球王朝に抵抗して反乱を起こした八重山の伝説の英雄でした。
さらに行くと海岸線に出て二基の風車が見えてきました。
これは 沖縄電力の「可倒式風車」だそうで、国内初登場。
2基で総工費は5億円。
この風車は、フランスのVergnet(ベルニエ)社のGEV MPというモデル。
ブレード(羽根)は3枚ではなく2枚です。出力は2基で計490キロワット。
台風が来ても根元から倒せるのが特徴です。
採算が合うとは思えませんが、、。
のんびり穏やかな風景(風車)です。
そして次に波照間空港。

2007年11月に琉球エアーコミューターの定期便は廃止され、その後、紆余曲折を繰り返しながらも
整備のため運休という名目での廃止が続いているそうです。
日本最南端の島のお家事情右は複雑です。


ヌーヒ崎。そんな島事情とは関係なく限りなく美しい空と海。
車窓から見えたのは星空観測タワー。あいにく月曜日で休館でした。
そして日本最南端の碑のある高那崎に。

素朴な石碑は沖縄返還(1972年)後の1975年に本土から来た学生が建てたと言われています。
その碑に行くまでに二匹の蛇が絡み合ったハテルマの碑があり、これは日本全国から持ち寄った石で作られています。




秋田・青森の石、右は関東地方東京・埼玉・茨城・・
全国の若者の返還された沖縄とここ最南端の島波照間島への思いが込められていて
とても素敵なモニュメントです。
ほかに戦後50周年記念の日本最南端平和の碑があります。(写真がうまく写っていませんでした残念!!)


この場所は荒々しい切り立った岸壁で真っ青な波が真っ白なしぶきに変わります。
と言っても今日は信じられないほど穏やかな静かな海でした。


この島全体がサンゴ礁が隆起した島ですが
それを証明するようにごつごつした岩にはサンゴの形が残っています。
そして海の美しいと言われる沖縄でも随一と言われる西の浜ビーチに。

泳ぐならココですね。午後便が決まっているのであきらめましたが、、。


美しく澄んで泳ぐ魚もくっきり。苦手なナマコまで美しい(?)

今回の旅行でいちばんお気に入りの写真です。リーダーの楽しそうな笑顔が印象的。
食事はバスの皆さんは観光とコミでしたが
我々は予約してないのでと別の場所に運転手さんが案内してくださいました。
それがとってもいい感じ。青空食堂という名の通り戸外のテントやパラソルの下でいただきます。
量がとっても多くて頼み過ぎて慌てちゃいました。



てびち定食・焼きそば・刺身そしてデザートにブルーシールアイスクリーム。
そしてまたバスが迎えに来てくださって港に。

島内観光バスの阿利さん。この親切なバスの運転手さんを一生忘れることは無いと思います。
午後の一便で帰路に。
又もや静かな海でひと寝入りしている間に石垣港に。
西表島に行っていたNさんと合流し、
公設市場やスーパー(イオンタウンのマックスバリュー)でお土産の調達をしてからいったんホテルに。
わたしは大浴場の露天風呂と念願の岩盤浴でゆったり。
そして夜はリクエストした沖縄民謡ライブと石垣牛も沖縄料理もある店という「うさぎや」に。
はいもうノリノリで楽しみました。
沖縄民謡大好き。三線大好き。エイサー大好き。八重山料理大好きなら定番のお店です。
なんだかずいぶん飲んで食べて聞いて、、、と石垣最後の夜を楽しみました。






石垣牛の握り・刺身・鉄板焼き



サツマイモのチップス・アオサとモズクの天ぷら・海鮮サラダ
2度目のライブをまで長居をして石垣の最後の夜は更けました。
ところで波照間に限らず離島での足を確保できていなかったのは私たちの大きな過失です。
特に車椅子の利用者にとってせっかくの観光に一歩も踏み出せないことになります。
車椅子だからこそ入念に準備して、レンタカーあるいは定期観光バスを手配しておくべきでした。
波照間島は予想以上に観光客が多く、その割にはまだ観光設備が不十分で、
特にレンタカーの数は少ないようでした。
船の揺れを考えれば天気と相談したいところですが、
やはり早めの予約をしておくべきでした。
くれぐれも波照間島の民宿とレンタカーは数が少ないので早い時期の予約が肝要です。
たまたまお蔭さまで親切な運転手さんと乗客の方々のご厚意と安永観光の港スタッフの親切な機転で
波照間島を楽しむことができました。
本当に感謝しています。ありがとうございました。そして大いに反省しています。
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