鋸山から勝浦に
朝、比較的ゆっくりで9時前くらいに出発。
渋滞もなくそれでも1時間はかかって浮島に。
海ほたるを通って木更津に。
南に下がって初めての鋸山に。
恐ろしいことにというかみっともないことに
鋸山登山道路の途中でなんとオイル切れでエンスト。
なだめすかして何とか駐車場まで。
すでに冷や汗が出たところで
鋸山もなかなか冷や汗もの(ただし夫が)の絶景でした。
私はオイル切れや地獄覗きぐらいで冷や汗は出ない。
恥をかいて流す冷や汗はたびたびだけれど、、。
余談ですが夫婦って結構ビビるところが違うもんです。
一時船橋に住んだこともあり
鋸山の名前は聞いていましたが
随分見どころの多い山で、
日本寺が由緒あるお寺であることも初めて知りました。
日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。
開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。
日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。(公式HPより)
その後も源頼朝や足利尊氏などその後も歴史上の大物が修復や再興に関係しています。

山頂(標高は329.4m)からの眺望。対岸や首都圏、富士山も。

切り立った凝灰岩が屏風のように。

百尺観音。昭和41年完成の比較的新しいもの。

地獄覗き。

千五百羅漢たち

千五百羅漢たち

日本寺大仏。1783年(天明3年)に大野甚五郎英令が門弟27名とともに岩を彫刻して建立したもので、建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)。現在のものは1966年(昭和41年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、1969年(昭和44年)に完成した原型より約7m低い31.0m。それでもアブシンベル宮殿のラムセス2世像(21m)より10mも高い。

十州一覧台。十州を視野に入れるという雄大な眺め。浅間神社とともに救世教創始者岡田茂吉がここで1931年(昭和6年)、神秘体験を得たのち立教に至ったという記念碑がある。
そのあとよれよれで金谷まで戻り、スタンドでオイル交換をして勝浦に。
お宿はブルーべりヒル勝浦。
やけに広い敷地で食事棟までも車で移動という感じ。
早く着いたのでゆっくり食事。
ブッフェ形式で和洋あれもこれもと例によって食べ過ぎ。
日本酒とともにいただいていたら
料理長が今日上がったアンコウのほほ肉の酢味噌和えを差し入れしてくださった。
1尾からほんのわずかしか取れない貴重な部分で珍味とか。
しこしこ感のある初めての味わい。
頬肉って牛肉や豚肉のことだけかと思っていたら魚にも有るんですね。
心に残るおもてなし。(きっとブルーベリーヒル=アンコウのほほ肉になりそう)

渋滞もなくそれでも1時間はかかって浮島に。
海ほたるを通って木更津に。
南に下がって初めての鋸山に。
恐ろしいことにというかみっともないことに
鋸山登山道路の途中でなんとオイル切れでエンスト。
なだめすかして何とか駐車場まで。
すでに冷や汗が出たところで
鋸山もなかなか冷や汗もの(ただし夫が)の絶景でした。
私はオイル切れや地獄覗きぐらいで冷や汗は出ない。
恥をかいて流す冷や汗はたびたびだけれど、、。
余談ですが夫婦って結構ビビるところが違うもんです。
一時船橋に住んだこともあり
鋸山の名前は聞いていましたが
随分見どころの多い山で、
日本寺が由緒あるお寺であることも初めて知りました。
日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。
開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。
日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。(公式HPより)
その後も源頼朝や足利尊氏などその後も歴史上の大物が修復や再興に関係しています。

山頂(標高は329.4m)からの眺望。対岸や首都圏、富士山も。

切り立った凝灰岩が屏風のように。

百尺観音。昭和41年完成の比較的新しいもの。

地獄覗き。

千五百羅漢たち

千五百羅漢たち

日本寺大仏。1783年(天明3年)に大野甚五郎英令が門弟27名とともに岩を彫刻して建立したもので、建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)。現在のものは1966年(昭和41年)から仏師・八柳恭次を中心に修復が行なわれ、1969年(昭和44年)に完成した原型より約7m低い31.0m。それでもアブシンベル宮殿のラムセス2世像(21m)より10mも高い。

十州一覧台。十州を視野に入れるという雄大な眺め。浅間神社とともに救世教創始者岡田茂吉がここで1931年(昭和6年)、神秘体験を得たのち立教に至ったという記念碑がある。
そのあとよれよれで金谷まで戻り、スタンドでオイル交換をして勝浦に。
お宿はブルーべりヒル勝浦。
やけに広い敷地で食事棟までも車で移動という感じ。
早く着いたのでゆっくり食事。
ブッフェ形式で和洋あれもこれもと例によって食べ過ぎ。
日本酒とともにいただいていたら
料理長が今日上がったアンコウのほほ肉の酢味噌和えを差し入れしてくださった。
1尾からほんのわずかしか取れない貴重な部分で珍味とか。
しこしこ感のある初めての味わい。
頬肉って牛肉や豚肉のことだけかと思っていたら魚にも有るんですね。
心に残るおもてなし。(きっとブルーベリーヒル=アンコウのほほ肉になりそう)


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