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メリエンダのティータイム

お茶飲みながら気楽・気軽・気ままにつづる日々雑感。姑99歳を1昨年、母96歳を昨年続けて見送りました。これからは老夫婦の二人暮らし。


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吉野ヶ里遺跡から由布院へ

佐賀市内を観光してから吉野ヶ里遺跡に。
佐賀市内はまずもう一度本丸跡周辺、そして大隈重信記念館、そして私はもうひとつ
昔の家並みが残るあたりを見たくて探しましたが、地元の人も知らなくて何度も行き来し、
挙句、これだけって言うようなものでした。
実際夫の生地の海南で見られるのこぎり状民家のほうがもっと状態としてはよくわかるというものでした。
それなら大隈重信記念館でもっと時間をかければよかったと反省。
1月19日発行の重信記念500円硬貨を2枚交換してきただけとは、、、。

何しろ、暴風雨警報が出ているので先を急ぐので2時間あまりで市外に。
夫は吉野ヶ里は何度か行っているといいながら通り過ぎてしまい、
かなり時間をロスしました。
ここでもボランティアの方がガイドをしてくださってとても助かりました。
それにしても発見当時250万人もいた来場者が
今は年間60万人とか。
日本人の熱しやすく覚めやすい性格に翻弄されている気がしました。
寒いみぞれまじりの広い会場は祭日ですけど人影はまばらでした。
それにしても北墳丘墓など西安の兵馬俑を髣髴とさせる
立派な施設です。あの威容に比ぶべきもありませんが。
そして背ぶり山を背景に広がる遺跡はメキシコのティオティワカン遺跡みたい。
なんだか世界中、国づくりでの考え方は似ているのかも。
吉野ヶ里1 吉野ヶ里3
南内郭の王の家
吉野ヶ里2 吉野ヶ里4
やぐらとやぐらから見た北内郭。ひときわ高いのが主祭殿

吉野ヶ里5 吉野ヶ里6
北内郭と高床住居(主祭殿の近くに位置していることから、倉庫ではなく、普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられている)

古代の発掘って大きなドラマを伴っていることが多いけれど
吉野ヶ里遺跡は七田父子。
「吉野ヶ里は、昔から畑を耕せば土器がでてくるというような土地であった。
しかし、そこが古代の王国跡だとは誰も思ってはいなかった。
そうした中でただ一人、七田忠志(地元神崎高校の社会科教師)だけは違っていた。
生涯をかけて(1981年、昭和56年没)独力で発掘調査を続けたのだ。
その息子が吉野ヶ里発掘プロジェクトのリーダーとなった七田忠昭である。」
その話にいちばん感動した。

そして長崎・大分自動車道で東へ。湯布院ICまで
途中のサービスエリアで食べた高菜ラーメン。高菜大好き
高菜ラーメン

無事予約していたホテルにはチェックイン時間の3時前に到着。
お部屋はまだぬくもっていなかったので由布岳までドライブ。
五里霧中でした。
寒くて町をぶらつく気にもならずホテルにとって返し
冷えた体を温泉であっためてほっと一息。
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Author : merienda

創造力と想像力で楽しむ暮らし。現在山に夢中。お花大好き。月1回の男の料理会。東京在住。1昨年末99歳の姑を、昨年母(96歳)を自宅で見送りました。金婚式を終えた老夫婦の新しい暮らし始まりました。
写真はカシニョール「おやつの時間」
メリエンダはスペイン語でおやつ(間食)のこと。

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